2025/02/14
悪者ぞろいの家
こんにちは。今日は悪者ぞろいの家について書いてみたいと思います。先日読んだ本にこんな話が載っていました。2軒の家が隣り合わせで暮らしていました。1軒の家は7人家族でしたが仲むつまじく争いごと一つ起きませんでした。もう1件の家は3人家族でありながら毎日、喧嘩が絶えず、皆が面白くない日を送っていました。ある時3人家族の主人が7人家族の家を訪ねて、どうして、あなたの家では7人もいるのにそのように仲良く暮らせるのかその理由を聞きました。すると7人家族の主人は、「私どもの家は悪者ばかりの寄り合いですのに、あなた様の家は、善い人ばかりの集まりだからでしょう」と言ったそうです。意味が分からず、3人家族の主人はもう少し説明して欲しいと言いました。すると「難しいことではありません。例えば、火鉢が転んでも、茶碗が割れても、皆が『それは私が悪かった。いや私が不注意だった。いやいや私が軽率だった』とお互いが我先に悪者になる競争をします。だから喧嘩の起こりようがないのです。ところがあなた様の家では、何か間違いがあると、皆さんが善い人になろうとなすって、『俺は知らぬ。お前が悪い』と罪のなすり合いをするでしょう。茶碗が棚から落ちて割れても、『もともと棚の造りが悪いからだ。棚に置いた俺に落ち度はない。』と言って自分の罪を逃れようとする。だから喧嘩の絶えることがないのです。」(ものの見方が変わる座右の寓話、戸田智弘著、Discover参照)
この話を読んで、確かに人間には二種類のタイプがあって、自分を責めるタイプの人、またもう一つは他人を責めるタイプの人がいるような気がします。何でもかんでも、自分を責めればよいと言うものではありませんが、まずは何かが起こった時に、自分は大丈夫か、落ち度はないかを最初に考えるような人間にならねばならないと思います。最初から自分以外の人を責めて、自分は全く問題がないと言う姿勢は、人間としてどうかと思います。
現代の日本は、どちらかというと、自分を責めると言うよりまずは他人を責めるタイプの人間が多くなった気がします。これはある意味での西洋文明の影響、もう少し端的に言うなら、裁判制度の悪い影響だと考えます。欧米では、たとえ自分が悪いと感じていても、それを最初から口に出してはならない。なぜなら裁判で不利になるからだと教えられます。私が初めて英国に赴任する時に、英国では、交通事故等でたとえ自分が悪くても、最初から自分が悪いと言って、決して謝ってはいけない。それだけで賠償金が増えるからだ。このような教育を受けました。当時紳士の国と言われていた英国も、意外に底が浅いと思ったものです。しかし、当時それは会社の方針でもあったのでそれに従っていました。
最近フジテレビの問題が毎日のように放映されていますが、経営側が最初から、自分達の落ち度を認めた態度であれば、世間の見方やマスコミの対応は多少違っていたような気がしています。
数日前に、私は、妻が食器棚の中のコップを落として割ったので、不注意だと言いました。すると妻は、食器が多すぎるのでそれが問題だと応えました。お互い自分が悪いとは言いませんでしたが、妻は、その後で、食器棚の整理を念入りにやっていました。私は妻は偉いと心の中で褒めていました。
婚活が順調に進みめでたくご成婚となる方々も多いと思いますが、結婚後も、「悪者ぞろいの家」の方が穏やかな生活ができそうですね。優しい、心が休まる家庭を作って欲しいと思います。応援しています。

JINSOブライダル 専属カウンセラー 秋山和人(あきやまかずと)
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